子どもの自死が過去最多という現実に悔しみがこみ上げます。
「悔しみ」って言葉、本当は日本語的に正しくないのですけど、最近若者の間で「嬉しみ」とか「怖み」とかの感情表現の言語が流行っているらしいので、ちょっと使ってみました。
でも、何度も繰り返し使っていると、なんだかもともと存在していた言葉のように思えてきました。
あらら、すっかり脳の素晴らしい機能にやられてますね💦
そうです。脳は、繰り返しそれが起こるとそれを真実と思い込む、という特性があります。脳の上書き機能ですね。
そういえばわたしも、結婚生活中に、
大好きな音楽を「こんな変な音楽聞かないで」と言われたり
(私の魂が故郷に帰るような気持ちにさせてくれる、一番お気に入りのクラシックギターの調べなのですが、、、)←心の声
子どもの幼稚園のバザーに出品する作品を夜なべをして作っていたら、「そんな無駄なことしないで」と言われたり
(幼稚園の子どもたちみんなが喜んでくれる顔が見たくて、楽しんで作ってるんだよお、ワタシは(ToT))←心の声
「あなたは何もできない」と言われたり
(子育てとか家事とか、ちゃんとやってるつもりだったんだけどなあ)←心の声
と、まあ他にも何気ない生活のこまごましたことで日常的に否定されると
いつしか自分は、役に立たない人間なのかな?とか
何にもできないのかな、、、と
思うようになっていってました。
今では、心理学や脳神経学などいろいろと学んだこともあり、そういった会話や関係性に対し、対処の仕方も心得を持ち、自分を守ることができますが、あの頃はとにかく、そんなことがあるたびに、まるでガラスに少しづつ少しづつ細かく亀裂が入っていくように、元夫の言葉が上書きされ続けていきました。
そんなこともありましたから、自分の子育てでは、ネガティブな言葉や子ども本人を否定する言葉は使わない!と心がけてきました。
自分への圧強めの心がけと、今の自分はどうだったか?という第3者の目をいつも頭の右上にイメージして、私を見張っている!?☺ワタシです。が、十分できていたかといえば、それは子どものみぞ知る!です。もしできていなかったなら、ごめんなさい、です。
まあ、そんな話はさておき本題ですが、
死んだら楽になる?
死んだら楽になる、すべてが終わる、なんて誰が決めたんだろう?
本当にそうかわからないのに、なぜみんな、そうだと信じ込んでいるんだろう?
いいえ、信じ込んではいないのかもしれません。
そのぐらい、今を生きるのが苦しいということなのかもしれません。でも。。。
自死を思いとどまった理由
人間は、自分が決められた一生を全うしないと、予定の時までずっと暗闇を彷徨わないといけない。
もう何十年も前になりますが、わたしが自死を思いとどまった時の理由は、
自死したら、あの世ではもっとつらい人生になるかもよ?とふと思ったからです。
親が悲しむとか、友達が悲しむとか、よく言われる言葉を頭の中でイメージしても、その渦中では正直全然響かず、消えて無くなりたい気持ちは消えませんでした。
だってつらいんだもん。
生きることを止めて、何も感じなくなりたいんだもん。
でもね、死んだら何も感じなくなるって、誰が言ったの?
分からないよね。もっとつらいかもしれないよね。
フッとそんな言葉が脳裏に浮かんだんです。
どっちが本当かわからない。でも2分の1の確率で、もっとつらいかもしれないってことだよね。
ほら、天国とか地獄とかいう考え方も昔からあるし、死後がどんな世界かは、五分五分だってこと。
ちなみに、わたしが自死したいと思った理由は、恋愛のこと。その時の妄想はこんな感じです。
恋愛でつらい思いをして別れて、そのあと例えば自死をしたとして、そのあと空中に浮遊して別れた彼のところに魂が飛んで行っちゃったりして、部屋の天井近くの隅の方から彼が誰かと幸せに生きている姿を見せられる😢
でも、自分の姿も声も、彼には届かず自分はその場から離れることもできず、、、
・・・・・うわっ💦これは、まじめにキツイぞ!エグイぞ!!
こう思ったときにわたしは、じゃあ今もうすでに体験している、このつらい世界で良くなるようにガンバルほうが、希望があるじゃん、と。
だって、この世はガンバルことができるから。
というわけで、わたしは自死を思いとどまったのです。
その後読んだ、ある大学教授が「生きがい」について死後のことを書かれた本によると
自死した場合のあの世は、もうがんばることができない世界に行ってしまうそうです。
(暗闇だろうが、地獄だろうが、ただ受け入れるだけ。)
そこで、本来の定められた寿命を全うするまで、寒く、冷たく、誰もいない真っ暗闇をさまよう、のだそうです。その可能性が50%あるとしたら、結構危険な賭けだわ。。。
この世なら、ガンバルこと、自分で未来を変える努力ができる確率100%だもの。
自死したいと思うことって特別なことじゃない
どんな人でも、受け取れないほどのつらいことがあった時、 この人生を終わらせたいと思っても不思議じゃない。
こればっかりは、きれいゴトが通用しない世界だと、個人的には思ってます。
でもですね。
みんな楽になりたくて自死を選ぶのに、もしかしたら、本当はちっとも楽にならなくて、むしろもっとしんどいかもよ?って、そういう世界かもよって、できることなら考えてみてもらえたらなって思ってます。
そうしたら、この世界、あなたを助けたい、支えたいと思う人がいるこの世界で、そういう人の助けを借りたりして、もう一度、この世界でガンバってみることができるんではなかろうか?
その方がいいんじゃなかろうか?と思うのです。
生きてたほうが、楽かもよ?
こどもの自死が過去最多なのは、衝撃でした。
そして、悔しいです。
自死、というのはとてもセンシティブで、あまりテーマに出すのもはばかられることなのかもしれませんけれど、もし叶うことなら、これを読んで自分の命を絶つことをやめようと思う子どもがひとりでも多く居てくださったらいいなと願っています。
どれが正解だなんて、どうせまだ今の科学では分かりっこない。それぐらい死後の世界って神秘。
だったら、どんな受け止め方ができたら、生きる希望が持てるのか?
大事なのは、そこじゃないかなって思うんです。
ちなみに、わたしがあの時、自死を思いとどまって正解だったかどうか、ですが
結婚して(別れたけど)
3人の子どもとこの世で逢えて(ひとりは、先に天国に行ってしまったけれど)
今も高齢でがんばって生きてくれている両親の顔が見れて
いろんな人と笑顔が交わせることが有難いと思えて
新しい出逢いがあって
夢や希望が持てていて
道端の草や野花が風にそよぐのが見て、嬉しいと感じられて
日々に感謝ができる
自分の中では、「生きてて正解」デス。
自分の命が寿命として絶えるまで、この世を味わって生きたいと願っています。
※最後に
大切な人を自死で亡くされた方へ
自分の大切な人が、暗闇でさまよっているかも、と思い、いやな気持になられていたら申し訳ありません。でもわたしは、このブログを読んで、自分の命を絶つことをやめようと思う人がひとりでも居てくださったらいいなという想いで書きました。ご理解いただけたら嬉しいです。
そして、自死で亡くなられた方へは、その方を祈って差し上げることが、その方が早く安らぎの世界に到達する手助けになるものと私は信じています。
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