イラン生活を充実させ、イランが大好きになっていった私でしたが。。。
結婚は、自分らしさを手放さなければならないもの?
「パパがいないと何もできない」という母親になりたくない、という想いが、わたしにをどんどん素晴らしいイラン生活に導いたことと反比例するように、夫婦間のズレは次第に大きな亀裂になっていきました。
関係改善の努力もむなしく、わたしは鳥かごの鳥になることでしか、夫婦としてやっていく道はない、と理解したとき、灯の消えかかったロウソクのように生きる意欲を失っていきました。
わたしは、どう生きたいの?
奴隷のように、ただただ言うことを聞いて生きていくなら、別れずに今もイランで暮らしていたかもしれません。
でも、いよいよ自分で思考することもままならなくなり、子どもの世話もできなくなってきたとき、フッと心に降りてくる言葉がありました。
『あなたは、どんな母親でいたいの?』
ああ、そうか。離婚して子どもを悲しませたらいけないと考えて、このまま夫と暮らすことは、自分を失うことなんだ。。。。自分を失って、心が壊れて廃人みたいな自分。。。それは、自分が在りたい母親の姿…?
わたしはどう生きたいの?
こう思った時に、わたしがイランに来た時の強い思いを思い出し、
わたしは、最後の瞬間まで、子どもたちの「母親」でいたい
あらゆる選択が許されなくなった自分が、最後にこれだけは守りたい、と願った想いでした。
もう一つ、わたしを決断に導いた、問いがありました。それは、
自分を無くして生きることにがんばるか、苦しくても希望を持てる人生を生きるためにがんばるか? どのみち頑張るしかないんだ・・・!
じゃあ、、、、どっちに頑張る?わたし?
だったら!
わたしは、苦しくても希望を持てる人生を生きるために頑張るほうを選択しよう!
葛藤の末に
人は何があったら生きていけるのだろう?
自分は・・・?
人は何を失ったら生きていけないのだろう?
自分は・・・?
様々な問いを自分に投げかけ、自分を深め、、、。
脳の血管が破れるほど、考え抜いたと思います。あの時は(笑)
それは、この仕事に結びつく、わたしの原点の一つです。